聖書を読む 「エサウとヤコブ」

※私はミッションスクール出身ですが洗礼を受けていません(信徒でない)、 あくまで文学・歴史書として読んだ場合の個人的な感想です。基本的に信徒以外の方に向けて書いております。

神からの祝福


我々日本人などには残念なお知らせですが…
アブラハムの宗教ではイスラエルの民は祝福を受けた特別な民族という大前提があります。
どうやらそれは彼らの始祖であるアブラハムが神から祝福を与えられた事に由来している様です。

創世記 12:2 (口語訳)
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

そして、アブラハムに与えられた祝福は息子イサクに受け継がれヤコブ(イスラエル)に受け継がれ、その子孫であるイスラエルの民に受け継がれているという訳です。
ただ、この祝福は歴史にifがあれば別の民族に与えられていたかもしれないのです。


父からの祝福


ヤコブ(イスラエル)は父イサクから祝福を受けた訳ですが、実はヤコブにはエサウという兄がおり本来祝福はエサウに与えられるはずでした。
事の始まりは、エサウが空腹時に食べ物と交換にヤコブに長子(長男)の権利を譲る口約束をしてしまった事が原因なのですが…年を取り目が見えなくなった父イサクにヤコブはエサウのふりをして近づき、先に祝福を受けていまうという衝撃の展開があるのです。

私が最初にこの話を知った時は「えぇ…それでいいの…?」と思ってしまいましたが、
一般的には「神から与えられた権利を簡単に譲るべきではない教訓」と考えるようで、エサウに対して否定的な捉え方をする方が多いです。

個人的には手段より結果を重視し、「騙し騙される事も駆け引きの内」と考える事が出来る、我々の道徳感では測れない彼等らしいお話だと今では思っています。



エサウとエドム人


少し可哀そうなエサウですが彼もなかなかのキャラクターで、自分の祝福が横取りされてしまった事を知ると怒ってヤコブを殺そうとします…かと思えば、時が過ぎて後逃げ出したヤコブが帰って来ると今度は涙を流して再開を喜んだりもするのです。

おまけに旧約聖書の偽典「ヨベル書」では自分の子供たちに祝福を譲ってしまった事を責められ、またもヤコブを殺そうとし、最後には返り討ちにあって死んでしまいます。

そして、聖書の歴史ではエサウの一族はイスラエルの奴隷となってしまい、彼らの子孫がエドム人となって行くのです。



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おぼさりてい

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